8月初頭に故郷の青森に帰省しました。
京都は猛暑まっただ中なのに、青森は適度な湿度を含む爽やかな風が吹き、幼き日にこの風を感じながら育った事をあらためて思い出します。
青い空、青い海、青い森、空気も青く澄み渡り、夏の青森は至福の季節。
シングライクトーキングの佐藤竹善さんの歌声が頭の中で、眼前の青い空とシンクロします。
全線開通した東北新幹線で真新しい新青森駅に降り立ち、冬ぶりに再会する母と待ち合わせ、そのままお墓参りへ行きました。
父、父方の祖先、母方の祖先、そして幼き日に共働きをする両親の代わりに姉と僕を育ててくれた、おばちゃの墓前に参り、独立の報告と見守って頂いている感謝を伝えました。
おばちゃは、私が5歳で今の実家に引っ越す前に住んでいた合浦公園の近くに住むおばあちゃんで、ほとんど毎日のように預けられ育ててもらいました。
多分、0歳か1歳位の物心がつかない位からと思います。
幼き日の思い出は、その近くの生家の記憶より、おばちゃにおぶられ、手をひかれ行った浪打市場、毎日のように遊びに行った合浦公園、ハイカラで朝食にはいつもトーストで、一緒に砂糖とミルクをたっぷり入れてコーヒーも出してくれた事。
東の方へ引っ越し、小学校に通うようになってからもバスに乗っておばちゃに会いに行き、夏休みの大半をおばちゃの家に泊まり合浦公園の海水浴場へ泳ぎに出かけました。
おばちゃが本当の祖母ではないと理解したのは、多分小学校高学年になってからだったと思います。
その位、本当の孫と同じように接し、育ててくれました。
幼き日、兄弟のように育った5つ年下のおばちゃの本当の孫、やっちゃんという男の子がいました。
赤ちゃんの頃から知っていたので、弟のように可愛くて、よく一緒に遊んでいました。
おばちゃの晩年、やっちゃんを僕と勘違いし、「ゆき、よぐきたなあ。」と言っていたそうです。
やっちゃんも僕のふりをして接してくれたそうです。
お墓参りが済み、実家へ帰り久しぶりの夏の実家の香りを味わいました。
ここ最近、お正月の冬には毎回帰省していたのですが、夏に帰るのは本当に久しぶりです。
家から5分の海岸へ、妻を連れて散歩に行きました。
冬の寒風吹きすさぶ海しか見せてなかったので、夏の穏やかな陸奥湾を見て妻も非常に感激していました。テトラポットを、忍者ごっこと称して遊んでいた幼少の頃を思い出し、久しぶりに飛び跳ねて遊びました。
次の日、ランチにポミエさんというフランス料理店母と妻と一緒に出かけました。
私と妻がつきあって初めて訪れ、その後も妻の帰省で帰った時、京都に来てからも寄せてもらっている大好きな京都市内のレストラン、ベルクールさんで働いた経験を持つシェフがされているお店です。
青森の食材をしっかりとフレンチの技法で提供する素晴らしいレストランです。
これからまた、実家に帰るのが楽しみになりました。
その後、市内の百貨店に働く姉を訪ね冬に帰省した時ゆっくり一緒にご飯食べようねと約束しました。
そして、その夜は妻に是非一度見てもらいたかったねぶたに出かけました。
1度、ねぶた祭りの迫力を見せたいと思っていました。
私も、色気づく中学生位からはハネトとして参加していたので、沿道で見るのは小学生以来です。
大太鼓の腹の附に響く力強い音、、リフレインするねぶたのメロディを高らかに歌い上げる笛の音、そして「ラッセラー、ラッセラ」とお囃子方とハネトの掛け声、ハネトが乱舞する度に奏でる鈴の音がはじめ小さくそれが段々近づき大きくなり迫りくると、体中の血液が湧きあがってくるのが解ります。
今か今かとねぶたの山車を待つ期待感、そして、闇夜に浮かび上がる巨大で勇壮なねぶたの姿にテンションはマックスを迎えます。
そして、見てるとあのハネトの輪の中に加わりたくなる。
次に来たら、やはり跳ねようと思いました。
前の方に、3歳位の男の子を肩車して見ている親子がいました。
私も、子供のころに父に肩車をしてねぶたを見た事を思い出し、懐かしく思い出されました。
3日間だけの夏休みはあっという間に過ぎ、翌日は京都に帰る日。
また、冬のお正月に帰省する日を楽しみに、青森を後にしました。
心の中に、ずっと息づく青森のDNA。
離れたからこそ、感じる私のルーツ。
今も体中を駆け巡り生命を持つ。
遠く離れた地でも、津軽のじょっぱり魂を心に根付かせて。