独立したら、1枚板のカウンターで仕事をするのが、夢でした。
今、最高の相棒ともいえる素晴らしいカウンターと一緒に仕事をしている事を幸せに思います。
そして、この素晴らしい相棒と出会う為にご尽力をくださった方に感謝します。
独立の為に、物件を探していた時にも1枚板が入る事を前提に探していました。
そうすると、1番自然に搬入出来るのは1階なのですが、クレーンで運ぶ事も考え、条件があえば上の階も考えていました。
初めて、今のアフィナージュの物件を見させていただいた時、前に入られてたお店はカウンターを挟んでお客様と店主側の向きが今と逆向きでした。その状態では、お客様を背面から迎える事となり、不自然さを感じずにはいられませんでした。
客席側にずっと立って考えていた時に、向きを逆にすれば自然なんじゃないかとひらめきました。
そうすると、自分がやりたいと思っていたお店のイメージに広さもちょうどいい事に気付きました。
大分、北側ですが花見小路に面していますし、1階の物件は中々無いと思いここにする事に決めました。
カウンターの材質は、アフリカの木でブビンガと決めていました。私が埼玉熊谷時代、ラミデュヴァンセントジェームズがそうだったから。
ラミデュヴァンセントジェームズを施工してくださったオカトミの岡田社長がお店を渡す時に「小嶋君、このカウンターを5年後にもっと良くするのは小嶋君次第だよ。」と言われました。
私はその時何を言ってるのか解りませんでした。カウンターが良くなるってどういう事・・。
その答えは5年後に解る事となりました。
日々のカウンターのふきあげと、定期的なナチュラルオイルでのワックスがけ。これを繰り返していくとじわじわだんだんとカウンターが木光りを増してきて、凄みとオーラを増していくのです。
また、身近に素晴らしいお手本がおりました。師匠の谷オーナーの店、1号店のバーセントジェームズのカウンターがラミデュヴァンに先行し5年経っていたので、すでに木光りを増し素晴らしい仕上がりになっていたからです。
1号店は、アサメラという木をつかっていました。ブビンガよりもう少し白っぽいのですが、この木も硬くていい木です。
最初、1号店のカウンターと渡されたばかりのラミデュヴァンのカウンターがあまりにも違うので、どうしてだろうと疑問でした。その事は谷オーナーがすでに日々毎日の掃除やワックスがけを根気よく続けていく事の重要さを身をもって教えてくださっていたのです。
今回、アフィナージュのカウウンターを購入するにあたって、ラミデュヴァンセントジェームズのお客様でもあり、またラミデュヴァンにカウンターを納めた15年来の友人、栗島木材の栗田社長にお願いしました。
栗田社長は、私がラミデュヴァンを任されていた時もずっとお客様でいらしていただいたので、私がどんな板を望んでいるか解ってもらえるだろうと思ったからです。
アフィナージュは1階の物件ではあったのですが、入り口が花見小路から少し斜め奥にある為、5メートルの1枚板が搬入できるかどうか、最後まで解りませんでした。物件は、工事着工寸前まで前のお店さんのままで、どうしても入らなければ半分に切り継ぐ事もしょうがないかと思っていました。どちらにしても、1枚の板だったんだから・・と自分に言い聞かせ・・。CADの計算上では入ると言ってたのですが、スケルトンにするまで本当に確信が持てない状況でした。
設計施工は私が、以前勤務していたクープドワイングロッサリーの1階の時のお店から来店していただいていたサカヰヤの中出社長にお願いしました。中出社長は、1階のクープも4階に移転してからもずっときていただいていて、ちょうど4階に移転したころにご自分で独立をされました。
中出社長とは、歳も一つ違いで私が任されていたお店を両方とも見て気に入っていただてたので、ずっと長いお付き合いが出来ると確信していました。
そして、中出社長の相棒で高校からの同級生でもあった亀井さんがアフィナージュの設計施工を取り仕切りました。亀井さんも1階のクープに来ていただいた事があり、みなご縁を感じていました。亀井さんとの打ち合わせは、本当に細部にまで渡り材質の一つ一つまでサンプルを出していただいて、施工途中であっても棚の高さを私の身長と合わせ変更したり、常に最善をつくしていただきました。これほどまでに建築の仕事を愛してる人は中々いないなと思いました。
物件のスケルトン工事の前日、亀井さんが5メートルのカウンターと同じ寸法の模擬板をつくってくれました。幅も厚みも一緒で。そして、空っぽとなった物件にするりと入った時、嬉しさと安堵感と同時にここまでしてくれた亀井さんに感謝しました。
いよいよカウンターが搬入される日、朝8時半に友人の栗田社長が熊谷からわざわざ来てくれました。京都が好きで私がこっちに移ってからも時々クープにも会いに来てくれてたのですが、約3年ぶりに会う友人の姿は、以前より風格と貫録がつきつつも、昔と変わらない丁寧な語り口に懐かしさより、ついこの前会っていたような親近の思いがこみ上げました。
かたい握手で再会の喜びを確かめ合い、千葉で見つけた相棒となるカウンターが積まれた大型トラックを共に待ちました。
トラックは、栗田社長が手配した会社の社長さんが自らハンドルを握り、京都まで大事に運んで来てくれました。
大事に大事に梱包されたカウンターを栗田社長が少しだけめくり木肌を見せていただいた時、涙がこみ上げてきました。
パソコンや携帯で画像を送っていただいていたのですが、予想以上に美しかったからです。
よく、遠いアフリカの地から関東を経て京都まで来てくれた、ありがとうと感謝をのべました。
いよいよ搬入。
搬入の前、栗田社長が清めの日本酒と塩を振りまくその姿は凛とし美しく、神々しくさえありました。
そして、1トンはあろうかというカウンターを中出社長と亀井さん、大工さん2人、運転してきてくださった運送会社の社長さん、栗田社長と私、7人で運びこみました。
想像以上の重さに、途中途中で馬をかませながら、やっとの事で搬入する事があできました。多分一生忘れ得ない重さになりました。
その後、栗田社長と昼食を共にし、またすぐに仕事で関東に戻らなければいけなかったので、絶対にじっくり時間をかけ素晴らしいカウンターに育てる事を約束し、そして本当に素晴らしいカウンターを見つけてくださった事のお礼をいい、また再会する時を楽しみに別れました。
今回はカウンターは面取りだけして全く最初のワックスもかけていない状態で搬入してもらったので、最初のかけかたはラミデュヴァンを施工してくれたオカトミの岡田社長にやり方を聞き、自分でやりました。
こころよく、教えてくださった岡田社長は広島で出張のお仕事の後、アフィナージュオープンしてから途中立ち寄ってくれました。
そして、いいカウンターだねと褒めて頂きました。
私も、独立をした時、1枚板でどうしても仕事がしたかったのは、10年前に岡田社長が言ってくれたあの言葉があったからだと伝える事が出来ました。
このカウンターと出会う為に、色々な方のご尽力、そして思いが詰まっている、まさに魂のカウンターだと思います。
今、アフィナージュをオープンしてから4カ月が経ち、少しづつもカウンターが育ってきていると感じます。
私が熊谷時代に勤務していたラミデュヴァンセントジェームズでは、今、店長で頑張っている東森君が6メートル80センチのブビンガを日々育てています。10年を超えてすばらしい風合いを醸していると思います。
京都のクープドワイングロッサリーでは、今、店長で頑張っている鈴池君と高須賀君ががんばっています。クープではワインの色がより映えるように少し白さのあるアサメラの木を使用しました。 7メートル40センチの1枚板はまた圧巻で4階でしたのでクレーンで運びこみました。私も辞めてから遊びに行くたびに、いい風合いのカウンターに仕上がってきているので、二人頑張ってるなあといつも思います。クープでは私が辞める1年位前からは、私はワックスがけさぼっていて、日々の掃除も鈴池君がしていたので、実質彼がここのカウンターを育てています。もうすぐ3年を迎え実にいい風合いになってきました。
これからじっくりと、カウンターをアフィナージュさせて、お越しいただくお客様を10年、20年、 30年とお迎えするのが私の目標です。
その頃のカウンターがどう風格を出しているか楽しみです。